坂庭です。
「子供に、どう育ってほしいか?」
答えは決まっている。
「生きてさえいれば、それでいい」
—
数年前の1月31日(日)夜7:30。
この日は、一生、忘れることが出来ない1日となった。
事務所で仕事をしていると、妻から電話。
「まだ、事務所?」
「そうだけど。なに?」
「車で運転をしていたら、娘の様子がおかしくて。名前を呼んでも反応がないし、口からアワを吹いてて・・・」
「救急車は?」
「呼んだけど・・・。慌てて、どこか、マンションの駐車場に車を停めたから、救急車が、ここの場所が見つけられないみたい。
さっきから、サイレンの音は聞こえるけど、ぐるぐる近くを回って探してるみたいで、まだ、到着してなくて・・・」
「場所は?」
「南町。ボクシングジムがあった近くかも。暗いし、どこかのマンションの駐車場としか分からない。」
「もう事務所を出たから、赤十字病院に向かう」
「赤十字病院に運ばれるとは限らないから、まだ、行かないで。
それより、お母さんと息子が車にいるから、ここまで来て、車を取りに来てもらえる?」
「お母さんに車を運転して、病院まで行ってもらえば?」
「こんな状況でお母さんも動揺しているし、運転したこともない新車のハンドルを握るのは怖いみたい。
あっ。救急車が来た。あとはお母さんと連絡をとってもらえる?搬送先が決まったら連絡するから」
(ツー、ツー)
先に病院で待機して、一刻も早く娘の顔を見たい。
そんな衝動をぐっと抑え、車の停めてある場所を突き止めるべく、義母の携帯に電話。
「お母さん、近くに何か目印はありますか?」
「信号の角で自販機があるみたい」
「分かりました。10分以内につきます。」
搬送先は案の定、赤十字病院に。
義母と合流し、自分の車と乗り換えて、病院に向かう。
普通に走れば、直線で10分程度。
ところが、この時は、日曜日の夜7時台。
国道50号線は、もっとも渋滞する時間帯だ。
こんな時に限って、すべての信号に赤で引っかかる。
もどかしさの中、娘のことを祈らずにはいられない。
(娘よ、頼む。生きていてくれ。)
(大丈夫だ。絶対に大丈夫だ。)
(アイツは生命力が強い。絶対に生きている。)
(娘よ、どうか生きていてくれ。)
(絶対に大丈夫だ。)
(絶対に大丈夫だ。絶対に、絶対に、絶対に、大丈夫。)
(アイツなら大丈夫だ。)
(頼む。生きていてくれ。)
何度も何度も途切れることなく心の中で祈り続けた。
途中、ふと我に帰り、後ろから義母の車がついてきているかバックミラーで確認しつつ、後ろのチャイルドシートで静かに座っている息子に声をかける。
息子も何か察しているのだろう。大人しくしている。
病院まで直線で数キロ。
時間にしておそらく20分程度だったろうか。
この時ばかりは2時間にも3時間にも、いや、永遠にたどり着かない道のりのように感じた。
夜間の救急から入り、受付で名前を伝え、中に駆け入る。
扉を開けると、数mほど先の真正面に。
ストレッチャーで横たわっている娘の姿が目に飛び込んできた。
(よかった。娘は生きていた。)
すぐに名前を呼び、駆け寄って、幼い小さな体に手を伸ばそうとしたが。
手を伸ばしたら、消えてしまいそうで。
触れると、娘の姿がはかなく消えてしまいそうで。
高鳴る鼓動。
駆け寄りたい衝動。
慌ただしいはずの夜間の救急病院。
娘しか目に入らない。
周囲の音も聞こえない。
静寂な直線。
娘との距離は数m
1歩づく近づく
1歩
そして、また
1歩
ゆっくりと近づく。
(これは夢なのだろうか?)
(現実なのだろうか?)
1歩
また、1歩
そして、
最後の1歩
ようやく、たどり着いた。
「こんばんは」
「こんば・・・」
声をかけると、「応答した」、というよりも、「つられて、思わず反応した」という様子の娘。
ところが、言葉が続かない。
まだ、焦点が定まらず、目の前にいる相手が誰で、自分がどこで、どうなっているかも分からない様子。
ぼんやりしている。
ストレッチャーの上で横たわる幼い娘に、そっと手を伸ばし、髪に触れ、目を覗き込んでみた。
(よかった。現実に娘は生きていた)
娘の瞳に映る自分の顔。
でも、意識はまだ、ハッキリしていない。
かすかに震えている小さな唇。
静かに声をかけた。
「もう、大丈夫だよ」
—
あれから、何年経っただろうか。
「1月31日」が近づくたびに思い出す。
今日、目が覚めたからといって、明日、生きて目が覚める保証はどこにもない。
でも。
いや、
だからこそ。
生きてさえいれば、それでいい。
じゃじゃ馬娘よ。
2度目の誕生日、おめでとう。
これからも大いに周りを振り回してほしい。
それが、お前の生きる証だ。
自分の命も大切な人の命も、当たり前ではない。
「明日やろうは馬鹿野郎」
間に合ううちに。
光あるうちに行け。
ありがとうございました。
坂庭