「人としてどうなの?」
この言葉は非常に危険。
なぜなら、この言葉を使う人の共通点として、「時間・お金・人間関係」に振り回されている、という傾向があるから。
人間関係に振り回されているということは、お金に振り回されている、ということ。
なぜなら、人間がお金を管理しているから。
そして、人間関係に振り回されているということは時間にも振り回されている、ということ。
なぜなら、人は時間で動いているから。
つまり、「自分はお金も時間も人間関係もコントロール出来ていない」という、やり場のない怒りをここぞとばかりに特定の相手にぶつけるときに、使う言葉
それが、「人としてどうなの?」という言葉。
時間にもお金にも人間関係にも振り回されている自分を正当化するときに、そのやり場のない怒りの矛先を特定の相手にぶつけ、フラストレーションをぶちまけるわけだ。
そして、さらに、振り回され続け、「世の中は思うようにいかない」「何もかもうまくいかない」という思いが強くなり、現実を創り続け、その記憶を強化していく。
「思考は現実化する」とは、まさに、このこと。
自分を正当化し、フラストレーションをぶちまける前に、「時間もお金も人間関係もコントロール出来ていない自分」に気づかない限り、「人としてどうなの?」という言葉を使えば使うほど、人もお金も離れていき、同時に時間の奴隷になり続ける。
家族も友達も客も部下もスタッフも離れ、誰もいなくなって、病気になり、借金や負債が増えてから気付いても、もはや手遅れ。
また、このタイプは「〜するべき」「〜するべきではない」という言葉も多用する。
実はこれも危険な言葉。
なぜなら、「本当はそうしたくないのに」という思いが背景にあるから。
「本当はしたくないのに、しなきゃならない」「世の中は思うようにいかない」「何もかもうまくいかない」という堂々巡りから抜け出せなくなり、泥沼から抜け出せず、1人で延々と負のスパイラルを続けることになる。
ちなみに、「人として」「〜するべき」「〜するべきではない」という言葉を使っていたのは、他でもない、2年前の自分。
そして、誰も居なくなり、寝たきりで、借金と負債だけが残った…
もし、あなたも、私のように負のスパイラルから抜け出したいのであれば、その思考パターンを変えよう。
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では。
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